
なぜベゼルレスにこだわるのか?
iPhoneXをはじめとして、昨今のスマートフォンはぜぜベゼルレスデザインへ進んでいるのか?
確かに、SFチックで先進的だと感じるものではあります。もちろん、液晶画面を最大限に大きくしようとすれば、外観サイズを目いっぱいに使うことになるのは物理的に理解できるのですが。。。
では、いつごろからベゼルレスへ目指すようになったのか?
一部では、初代のiPhoneが出たころだと言われています。まあ、今振り返ると初代iPhoneの上下のベゼルは相当な幅を取っていましたから、ジョブズがそのデザインを気にしていたことは想像できます。
ただ、デザイン性としてみたときにベゼルレスはどうなんだろう?
ここで前置きとして、まだ完全にベゼルレスの端末は存在しない。正確に言えば狭額の液晶に過ぎない。
iPhoneXは左右上下に少しの余白があり、Galaxy S8は左右はほぼベゼルレスだが上下には余白があります。
さらに、iPhoneXは上部のカメラ部分に大きな切り欠きがありデザイン性を損ねているのは明らかです。一部ではジョブズならオッケーを出していなかったのでは。とまで言われています。
これが、本当の意味で完全にきれいにベゼルレスを達成すると、確かに先進性は感じるのだが。。。
そういう意味で、次期iPhoneX(2代目)には期待ができますね。
そういった意味で、一時的な流行としてのベゼルレスはあったとしても、すべてのスマートフォンが目指すとは思えないかな。
使っているときも使っていないときも美しくあるのがデザインです。
完全にベゼルレスになると、使っていないときは画面が真っ黒なものが横たわっていることになりますからね。。。
そんな場合、サイドのデザインに訴求はしてくるだろうけど。。。
次に実用性でみた場合、もちろん液晶画面は大きいに越したことはない。スマートフォンとしての概念の範囲内でね。
しかし、スマホがスマートでなくなってきた今、どこへ向かっていくのかすごく興味はある。7インチの”タブレット”がある中、iPhoneXやiPhone8Plusなどは、スマホと最小タブレットの間に位置付けされるサイズ感ではないだろうか?
私の感覚から行けば、ジーンズの前ポケットに無理なく入るサイズがスマホの定義なのではと思いますが、みなさんはどうお考えでしょうか?
いっそ、本体と液晶画面と分離できるようにすればと思ってしまいます。
スマートフォンとしてのディスプレイとタブレットとしてのディスプレイと薄く軽ければ鞄に入れておいて、状況によって使い分けできますからね。
それに、本体を鞄に入れておく前提ならばバッテリーもさらに大容量にもできますし。色々と妄想を膨らませるのは面白いですね。