日本で心のバリアフリーが進まないのはなぜ?
先日、NY帰りのべっぴんさんとお話しする機会がありました。そこで彼女が目の当たりにしたことを語っているときにふと思ったのです。
彼女が言った。「日本とは違って当たり前のように不自由をされている方へ自然に手助けをしている」。「NYの地下鉄は、日本とは大違いでバリアフリーどころかエスカレーターもままならないところが多くある」
ちょっと待てよ。
それって物理的なバリアフリーが整備されなかったからこそNYの市民に心のバリアフリーが根付いたではないかと???
日本は、まだまだ物理的に完ぺきとまでは言わないまでも、大都市圏での公共交通機関はほぼバリアフリーが整備されていますよね。
※ここでは細かいことは置いておきましょう
だから、それを使うことが前提になっている日本人は手助けをするとか、してもらうという概念自体がNYの市民たちと比べて希薄なのかもしれないと。。。
すべてが便利になるとそれに頼り切って人同士の助け合いなく生活できるようになるわけですよね。よくよく考えると、それってとても恐ろしいことだと思いませんか?
2020年には東京オリンピック・パラリンピックが開催されますが、それに伴い物理的な整備も今よりもさらに進むでしょう。そして、開催期間中は街中にボランティアもたくさんいることでしょう。
ただ、終わったとを想像してみてください。物理的な面は整備が進み確実に今よりもバリアフリーとなって生活しやすくなりますが、一方で先に述べた心のバリアフリーははたして根付くでしょうか?
表裏一体とはよく言ったもので、便利になる一方で大切なものを失うこともありますよね。何かに頼ってしまってできなくなることも身近でもたくさんあります。
せっかくのチャンスです。こんなときこそ物理的なバリアフリーだけでなく、市民に根付く心のバリアフリーも一緒に根付かせるようなプロジェクトはできないのでしょうか。
彼女と話した日は、私も携わっているNHK Eテレのバリバラという番組の生放送の日でした。その生放送は、某局でやっている24時間テレビの裏でやった放送です。ご覧頂い方かもいらっしゃいますかね??
考えてみてください。あの番組は40年もやっているのですよ。それなのに、なぜ心のバリアフリーが日本人に根付かないのでしょうね?!
「歳末助け合い運動」などもしかり、日本人は「喉元過ぎれば熱さを忘れる」典型だと思います。そのときは、自分のこころに気づくんでしょうね。
いやっ、まだ気づくのならいいでしょう。ただ単にお祭り騒ぎしていると。それが終わってしまえば元の生活へ戻る。その繰り返し。。。
何も学習しないし成長もしない。私は、人は人からの笑顔や優しさでしか幸せにはなれないと思っています。
この記事を読んで少しでも多くの人に、心のバリアフリーの大切さが届くことを切に願っています。